住吉神社について〜由緒

主祭神(住吉三神)

底筒之男命そこつつのおのみこと
中筒之男命なかつつのおのみこと
表筒之男命うわつつのおのみこと

住吉三神は伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の檍原あわぎはらで禊をされた際に、海の中から現れた神さまです。

相殿神

息長足姫命おきながたらしひめのみこと
(神功皇后)

仲哀天皇(第十四代天皇)の皇后で、三韓征伐を指揮されました。住吉三神はその際に大いに皇后を助けました。

東照御親命あずまてるみおやのみこと
(徳川家康)

戦国の世を平定し、江戸幕府の初代将軍に就かれました。大坂の佃の人たちと親交を持っていたと言われています。

歴史

神功皇后三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。

その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。

その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。

佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。

その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。